HH-53C/69-5797
↑ 1972年1月 イギリスのレークンヒース空軍基地で撮影されたHH-53C
HH-53C/69-5790
↑ 1980年2月 イギリスのヨービルトン空軍基地で撮影されたHH-53C
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↑ 上は1978年6月当時の西ドイツ スパンダーレム空軍基地で撮影された601st TCWのCH-53C/70-1626。
1970年代後半嘉手納基地で中々満足に撮らせてもらえなかったCH/HH-53Cではあるが、海外の航空ファンは各地で良いショットをモノにしている。渡辺明氏のスライドコレクションの中にも、ヨーロッパ・アメリカ大陸でのジョリーの姿が残っており、本項では空撮も含めた、彼らの作品をご紹介したい。
↑ 上は1981年10月当時の西ドイツ ゼムバッハ空軍基地で撮影された601st TCWのCH-53C/70-1625。
CH-53C 601st TCW /601st TASS
↑ 1982年4月 西ドイツで飛行訓練を行っているCH-53C/70-1625
HH-53C/73-1647
↑ 1975年8月 イギリスのレークンヒース空軍基地で撮影されたHH-53C
先ずは救難ではなく、西ドイツ ゼームバッハ空軍基地を拠点にNATO軍の航空管指揮支援を行っていた第601戦術指揮航空団(601st TCW)のCH-53Cから展示したい。この航空団はリソースとして各種の航空機材を使い、前線管制ポストの運用、航空部隊に対する攻撃任務の指揮、空対空防御任務、地域内外の空域の監視等を任務としていた。1965年に創設された航空団でNATOの広い地域に分遣隊を持っていたが、空域監視レーダーの運用と共に、前方監視任務等の為に当初はO-2A/OV-10等の偵察機の運用を行っていた。その後、空輸/空挺任務の必要性から1975年に6機のCH-53Cを導入し、1995年まで20年間に渡り運用したとされる。
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↑ 上2枚は1982年9月にラインマインで撮影された601st TCWのCH-53C/68-10924。
上の2枚は1978年5月にラインマインで撮影された601st TCWのCH-53C/68-10930。この機体は、1987年のアッパー・へーフォードの航空祭にも601st TCWの所属機として展示されているので、長い間同隊で活躍していた事が判る。
↑ 1980年8月 イギリスのヨービルトン空軍基地で撮影されたHH-53C
HH-53C/69-10364
HH-3のページもご照会した通り、1969年から1971年の間 HH-3Eを運用していた在欧米空軍の67th ARRSは、その後機材をHH-53に更新した。HH-53は1988年まで約18年間使い続けられた。その後HC-130を擁する部隊は、21st SOSとして分離されアルコンブリへ移動したが、同隊は、HH-53引退後ももミンデンホール空軍基地でMC-130Jを運用する特殊作戦部隊として活躍している。
↑ 1975年5月に当時の西ドイツのハーナウ(現ヘッセン州)で撮影されたCH-53C/70-1632。ハーナウのアメリカ軍基地は当時ヨーロッパの米軍基地で一番大きな規模を誇っていたそうである。なお このCH-53Cは、この写真が撮影された同年の9月25日に事故で失われた。
HH-53C 67th ARRS / Woodbrige AB
Wings